2024年の24時間テレビのマラソン企画のランナーがお笑い芸人のやす子さんに決定!
その企画が「全国の児童養護施設に募金マラソン」というテーマであると発表されました。
やす子さん自身も児童養護施設で過ごした経験があることから、企画が生まれたと言います。
そこで、やす子さんがなぜ施設に入っていたのか?
どこの児童養護施設だったのか?
詳しく調査しました!
やす子は児童養護施設に入所していた!
2024年の24時間テレビのチャリティーマラソンランナーに選ばれたお笑い芸人のやす子さん!
自身が児童養護施設で生活していた事を明かしました。
今回のマラソンは、「児童養護施設への支援に特化したマラソン」だと言います。
それは、やす子さんが走っている間は、画面上にQRコードが表示されます。
そのコードを読み込むと、児童養護施設専用の募金ページにつながるシステムなんだとか。
今の児童養護施設の現状を知っていただきたい。私が走ることでもっと注目していただいて、子供たちに豊かになってもらいたい。もっと楽しく明るくなる機会だったらいいなと思います
とマラソンへの決意を語りました。
児童養護施設出身だと公表することは、ためらったと言います。
自分が今まで児童養護施設にいたことをほぼ言ったことがなかった。(周囲から)ちょっと引かれたり、タブーな存在になったり、かわいそうって思われる機会が多かったので…。
インタビューなどでも、なんとなく、ぼやかしながら自衛隊に切り替えて話していたそう。
話すことで気を使われるのを避けたかったんですね。
やす子さんは、走っている時間が少しでも長くなるように、頑張ると!意気込んでいました。
なぜ?やす子は児童養護施設にいたの?
理由は?
なぜ、やす子さんは児童養護施設にいたのでしょうか?
入所理由は公表していませんでした。
中学生ぐらいの時に交通事故にあったそうなんです。
そのタイミングで、人間関係も家庭環境も悪化していったそう。
そして、母親に内緒で児童養護施設にやす子が相談したといいます。
おそらく、助けを求めて施設に自ら入所の相談したと思われます。
期間はいつからいつまで?
やす子さんが児童養護施設にいたのは、いつからなのでしょうか?
自身で高校生の時にお世話になったと明かしていました。
期間:高校1年生〜3年生まで
児童養護施設に入れる条件がコチラです。
乳児を除く原則18歳まで(必要に応じて20歳まで)の、保護者による養育が困難な児童、また何らかの理由で児童養護施設によるサポートを必要とする児童が対象です。
そのため、やす子さんは高校を卒業するタイミングで施設を出なければなりませんでした。
つまり、やす子さんは3年ほど児童養護施設で生活をしていたんですね。
どこの児童養護施設にいたのか場所を調査!
やす子さんが生活していた施設はどこにあるのでしょうか?
場所や名前は公表されていませんでした。
そこで、やす子さんが通っていた高校から場所を推測していきます。
山口県出身のやす子さんの母校は
やす子さんが、施設にいたのは高校時代なので、母校の近くにある児童養護施設で絞っていきます。
入所して生活できる施設で、高校に通える範囲にあったのは3箇所です。
①社会福祉法人 清光園
- 名前:社会福祉法人 清光園
- 住所:〒754-1277 山口県山口市阿知須河内1448
高校までの距離画10キロほどで、自転車でも通学も可能でした。
②小野田陽光園
- 名前:社会福祉法人 小野田陽光園
- 住所:〒756-0817 山口県山陽小野田市大字小野田6111-28
こちらも、高校までの距離画10キロほどで、自転車でも通学も可能でした。
③山口育児院
- 名前:児童養護施設 山口育児院
- 住所:〒753-0082 山口県山口市水の上町5番27号
- 臨済宗建仁寺派洞春寺の境内にあります。
こちらは、高校まで30キロと距離が離れているのでバスなどの交通機関を利用すると想定します。
高校時代に「濱かつ」というとんかつ屋さんでアルバイトをしていたそう。
地図を確認すると、清光園と高校までの間に濱かつの山口宇部店が確認できました。
そのことからも清光園である可能性が高そうです。
生い立ちが壮絶だった
やす子さんがなぜ児童養護施設に入所するようになったか調査すると、幼少期に大きな転機があったことが分かりました。
生い立ちが壮絶だったんです!
2歳の時に両親が離婚し、妹と一緒に母親の引き取られました。
母親が生活するために1日に中働いていて、ほとんど家にいなかったそう。
母子家庭になってからは、テレビや洗濯機がない家に住んでいました。
給食の残りを自宅に持ち帰って、妹と空腹を満たしたそう。
50円のパンの耳だけで、なんとか食をつないだと言います。
給食がなくなる夏休みなどは、本当に苦労したんだとか。
また、学費も払えない状況になるなど、厳しい家庭環境だったと告白。
児童養護施設は18歳になると卒業しなければならない。
しかし、未成年で一人で部屋を借りることもできないし、頼る人もいないので、衣食住が揃ってる場所を探す必要がありました。
山口県でその条件を満たす場所は、パチンコ屋と自衛隊しかなかったそう。
パチンコ屋に落ちたことで、自衛隊に入らざるを得なかったと告白。
そんな過去を振り返って、楽しい思い出だったと明るく語るやす子さん。
可哀想な感じに見えますが実際子供の頃は貧乏だけどとても楽しかったし、1人で育ててくれた母親には感謝しています
高校時代には会っていなかった母親とのも再会し、現在は良好な関係だといいます。
その後、20年振りに父親との再会したと明かしています。
辛い時期を乗り越えて、当時も今も「楽しい」といえるやす子さんは、すごいですね。
まとめ
お笑い芸人のやす子さんが過去に、児童養護施設にいたという情報をまとめてきました。
いつも優しい笑顔の裏には、壮絶な過去があったんですね。
やす子さんは、自身が施設にいた事も隠さず話しています。
24時間テレビのマラソンでも多くの人に希望を与えそうですね。
これからも、やす子さんの活躍を応援していきたいと思います。
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